会社沿革

1935年(昭和10年)4月 創業者 樋口丑太郎が大正末期、10代半ばにして信州、上田から上京、旋盤工として修業後、品川の荏原町に樋口製作所設立した。
1939年4月 日産重工業(株)、今の日産自動車の下請け協力工場となり、広い土地を求めて世田谷に移転、戦時中は女子挺身隊が配置され軍需製品も作つた。
1951年(昭和26年 )3月

資本金100万円の東京製螺工業株式会社 設立
戦後の混乱期を乗り越え、更なる発展の為社名を現在の「東京製螺工業株式会社」と変更した.街中の自動車はまだ輸入米車が主流で小柄な丑太郎の愛車はGMの‘ビュイック’でした。
1958年6月 日産自動車(株)協力会「宝会」に入会、機械集めが大好きな丑太郎が買い付けた、欧米製の自動盤、ターレット旋盤を並べた加工工程に日産をはじめ他社からの多くの見学者を迎えた。
1967年10月 輪島市の誘致により 輪島工場 開設、労働力確保と増産体制を強化した。
1978年2月 ㈱佐賀鉄工所と協力協定 締結
日産自動車殿の指導により、ネジ製作の大手(株)佐賀鉄工所の傘下に入り、切削加工技術を生かしたドレインプラグなどエンジン関係部品、産業用機械部品を分担
1986年(昭和61年)12月 CNC旋盤 導入、NC設備化 着手
1989年 3月 ロボット付NC旋盤導入、時代が平成に変わるととともに二代目社長を迎え、複合旋盤旋盤、NCマシニングセンターを導入、省力化、合理化を進め,品質の向上、製品の安定供給体制が整った。
1991年10月 資本金2,000万円に増資 東京都の融資を受けCNC複合加 旋盤を導入、産業用機械向け高精度、機能部品の供給体制を整えた。
1996年9月

新本社工場に移転 ,住宅地化した世田谷本社を、相模原市の工業団地に移転 冷間鍛造設備 、材料切断設備 を導入、 素形材からの 一貫加工体制を整備した
1998年(平成12年)5月 冷間鍛造品の社内生産撤退,NC精密加工に特化、輪島工場を本社工場に集約し,夜間完全無人運転への設備投資を実施、少数精鋭体制へ移行。
2012年(平成24年)4月 ‘ITを活用したものづくりの見える化体制作り’独自の受注から出荷までの生産、品質管理システムを構築、多品種、短納期部品の安定供給体制を確立した。”